繁華街ススキノで何が ~不可解な事件の背景を追う
防犯カメラの映像に目をこらした。
あらわれたのは全身黒ずくめの人物だった。
手には大きなスーツケース。不審に見えた。
全国有数の歓楽街ススキノ。ホテルの一室で首のない遺体がみつかった事件。
逮捕されたのは女の容疑者だった。さらに両親の逮捕。
「なぜ」ばかりがつのっていく。その背景には何があるのか、取材した。
異様な事件現場
全国有数の繁華街として知られる札幌・ススキノ。現場はその一角にあるホテルだった。
2023年7月2日、その2階の一室で、1人の男性の遺体が見つかった。
道警によると遺体は、浴室の洗い場にうずくまったような状態だった。
そして、男性の頭部が現場に残されていなかった。
さらに、財布や免許証など所持品はすべてなくなっていたという。
その一方で、争った形跡はうかがえなかった。
「こんな現場は見たことがない」
道警の捜査員は話した。
被害者の身元の特定が難しく、手がかりが極端に少ない現場。捜査は難航が予想された。
不可解な点が多く、全国有数の歓楽街ススキノで起きたこともあり、世間の大きな注目を集めた。
SNSでは事件の背景に関するさまざまな臆測が飛び交った。
容疑者は男なのか女なのか、どうやってホテルから逃走したのか。
中には被害者の名誉を傷つけるようないわれもない投稿もあった。
現場付近の聞き込みをしていると、今回の事件では、しばらくの間容疑者が全くわからず、逃走していることもあって、「怖い」といった不安の声が多く聞かれた。
世の中に早く確かな情報を伝えなければならない。
まずは、防犯カメラに何か手がかりが残されていないか、調べることにした。
防犯カメラ取材
現場となったホテルの周辺には、飲食店や雑居ビル、コインパーキングなどが建ち並び、さまざまなところに防犯カメラが設置されていた。
「これだけカメラが設置されているエリア。犯人につながる何かしらの証拠が残っているはず」
発生直後から、道警の捜査員がカメラの映像をチェックし、ひとつずつ押収していった。
さらに、その映像をもとに徐々に範囲を広げ、足取りを追っていく、リレー捜査も同時に進められていた。
捜査と同じように私たちの取材も初動が鍵を握る。
取材の結果、現場周辺で33時間分の防犯カメラの映像を入手することができた。
当初、被害者や容疑者がいつ、ホテルに入室したのかさえ、はっきりしていなかった。
しかしその後の捜査で、事件前日の1日の午後11時ごろ被害者が事件に関与したとみられる人物と一緒にホテルに入室していたことがわかった。翌日2日の午前2時ごろに、その人物は1人で退室していた。
カメラに写った黒ずくめの人物…
「不審な人物が写っています。時間帯も取材情報と一致します」
カメラの分析にあたっていた記者が時間帯を絞って、映像を見返したところ、ホテルの北側にあった防犯カメラにある人物が写っているのを見つけた。
時刻は2日の午前2時すぎ。
この時間帯、ススキノの一角といえど、人通りは少なく、半袖姿の若者がときおり通るくらいだ。
その人物はホテルから1人であらわれた。
7月というのに厚着をしていて、ひときわ目についた。小柄な体格で、大きな黒いスーツケースを引いていた。
帽子やマスク、マントのような上着に黒い靴、全身黒ずくめ。
背中は少し膨らんでいる。リュックサックでも背負っているのだろうか。
ウイッグとみられる金色の髪が目立っていた。
取材を進めたところ、道警もこの人物を容疑者とみて捜査していることが確認できた。
しかし、カメラに残されていたその人物の顔は不鮮明ではっきりしなかった。
この映像をみる前、殺害されたのが成人の男性だったこと、そして首を切断するという行為や短時間での犯行だったことから、捜査員の間でも容疑者は力のある男じゃないかという意見が多かった。だが、映像を見るかぎり、小柄に見える。それでも、確証は得られなかった。
このときはまだ、道警も判断をしかねていた。
そして、事件から2日後、被害者が北海道恵庭市の62歳の男性だと判明した。家族が道警に行方不明届を出していた。
発生から1週間。道警は容疑者が1人でホテルをあとにした午前2時ごろに、改めて現場付近で大がかりな聞き込みを行った。不審な人物や車両を見なかったか、確認していた。地道な捜査が続いているようだった。
「すぐに事態が動くわけではない」
取材に対し、捜査幹部はそう口をそろえていた。一方で水面下では、捜査が着々と進められていた。
“道警はカメラに写った容疑者を女とみている”
“共犯としてほかの男も捜査している”
夜討ち・朝駆けなどの取材を続け、私たちも少しずつ事件の情報を集めていった。
そうした中、「そろそろ警戒を強めたほうがいい、動きがあるかもしれない」といった情報が。
「そのとき」が近づきつつあるようだった。
当初、難航が予想された捜査は、3週間あまりで急展開を迎える。
逮捕された親子
7月24日。
道警は、札幌市内に住む田村瑠奈容疑者(29)、父親で医師の修容疑者(59)を死体遺棄などの疑いで逮捕した。
道警によると、カメラに写っていたスーツケースを引く人物が瑠奈容疑者とみられ、そして、車でホテルまでの送り迎えをしたのが父親だった。
カメラに写る人物が列車やバスの動いていない深夜の時間帯に逃走したことや、タクシーへの聞き込みで黒ずくめでスーツケースを持つ人物を乗せた、という情報もなかったことから、協力者がいることは想定していた。
しかし、送迎をしていたのが父親だったというのは、私たちにとっても大きな驚きだった。取材の中でそうした情報は把握できていなかったからだ。
さらにこの翌日、同居する母親の浩子容疑者(60)も、同様に死体遺棄などの疑いで逮捕された。
事件は親子3人がそろって逮捕されるという異例の事態となる。
そのおよそ3週間後、3人は殺人の疑いでも再逮捕された。
道警の捜査で防犯カメラの映像などから、被害者と一緒にホテルに入り、その後、1人で出た人物がシルバーの車に乗って現場を離れたことがわかった。
そこからカメラのリレー捜査で追跡したり、被害者の交友関係を調べたりする中で、瑠奈容疑者が浮上したという。
道警は、瑠奈容疑者が刃物を使って被害者を殺害した実行犯、修容疑者が事件現場まで車で送迎していたほか、浩子容疑者も事前に計画を認識していたとみていた。
また、事件の前、娘と父親はディスカウントストアを訪れ、凶器とみられるのこぎりなど複数の刃物のほか、変装に使ったとみられる金髪のウイッグを買っていた。
ホテルに入るときは手袋をつけ、白っぽい服装だった瑠奈容疑者とみられる人物は、退室時には黒ずくめの服装になってあらわれた。
ホテルの室内から指紋はいっさい検出されなかったという。
捜査関係者や弁護士によると、3人はこれまでの調べに対し、否認したり、黙秘したりしていたという。(※2024年3月8日追記 3月6日、田村瑠奈被告は殺人と死体遺棄や損壊などの罪で起訴されたほか、修被告は殺人や遺棄などを手助けしたほう助の罪で、浩子被告は遺棄などのほう助の罪で起訴された。)
踊る女性に近づく男性 それを見守るのは
20代の瑠奈容疑者と、60代だった被害者の男性。
親子ほど年の離れた2人はどのように接点をもち、そして2人の間に何が起きたのか。
取材を進めると男性がダンスイベントに参加していて、そこで2人は知り合ったとみられることがわかった。
ことし5月下旬、そのダンスイベントで、2人の姿が写っていた。
この日、音楽にあわせて飛び跳ねるように踊っていた瑠奈容疑者。
しばらくすると、被害者の男性が近づいた。
そのあと、2人は最前列に並んで、瑠奈容疑者は笑顔で被害者と会話をしたり、抱き合ったりしていた。
映像をみた印象では、初対面とは思えないような、親しい関係性に見えた。
捜査関係者によると、2人はこのあと6月中旬に再び会い、そして事件が起きた日は3度目の約束だったという。
さらにイベントの映像では、同じ店内の少し離れたところには意外な人物の姿が。
父親の修容疑者が1人でいたのだ。映像を見るかぎり、2人に声をかけたり、引き離したりする様子はなく、見守っていただけだった。
娘と父、それに被害者の姿があったイベントからわずか1か月余り。
事態は1人の命が奪われるという最悪の結末を迎える。
捜査関係者によると2人の間に何らかのトラブルがあったとみられているが、詳しい動機はわかっていない。
3人の関係は
逮捕された親子は事件現場からおよそ10キロ離れた一軒家に住んでいた。
捜査関係者によると、その自宅は足の踏み場もないほどのものであふれ、事件に使われたとみられる凶器や、被害者の免許証、財布などは、自宅から押収された。
そして、浴室からは現場から持ち去られていた被害者の頭部がみつかった。
どうして切断し持ち去るだけでなく自宅の浴室に放置したのか。
マスコミ各社は、連日ワイドショーのトップニュースで扱った。
事件の背景にある、伝えるべきこととは何か。
センセーショナルな事件、で終わらせないためにも、私たちは取材を続けた。
焦点を当てるべきは3人の親子関係ではないか。
私たちは自宅の周辺で住民たちの話を聞くことにした。
まずわかってきたのは父親の事件前の行動だった。
近隣住民によると、父親はここ数か月、家に帰るものの中に入ることはなく、ガレージで食事をとり、寝泊まりも車でしていたという。
さらに、捜査関係者によると、事件が発覚したあとは、家にも寄らず、仕事以外の時間は漫画喫茶を転々としたり、車内で過ごしていたりしていたとみられている。
実際に、自宅付近の漫画喫茶を出たところで身柄を確保されている。
一家の家族関係はどのようなものだったのか。3人を知る人を探し、話を聞いた。
瑠奈容疑者は、幼稚園や小学校の運動会では、まわりに負けまいと、かけっこに臨んでいた。
関係者や近隣住民などに話を聞くと、日頃から水泳や書道といった習い事にもしっかりと取り組んでいたそうだ。
「フリフリの洋服が好きで、いつも着ていました。声をかけたときは、挨拶をする普通の子でした」
小学校時代を知る同級生は話す。
しかし、中学生になると、学校に通う機会が減り、自宅で過ごすことが増えたという。
そして、最近の瑠奈容疑者については、ほとんど情報を得ることができなかった。
近所に住む女性は「ここ何年も姿を見かけていない。家から出ることがなかったのではないか」と話した。
親子をよく知る親族も「小学校高学年くらいからかな、家に行っても瑠奈は会いたくないと言って、部屋から出てこなかった」と証言した。
そんな娘の唯一の支えとなっていたのが両親だったとみられる。
SNSに父親が投稿していたメッセージ。その端々からは、娘を大切に思う気持ちを読み取ることができた。
趣味のバンド活動の様子を動画投稿サイトにアップしていた父親。
サイトのチャンネル名は「lunanet」だった 。
親族は証言する。
「娘を溺愛していた。父親は精神科医だったので、娘の状態についても自分が見てるから大丈夫という感じで、ほかに相談しているような様子もなかった。次第に、娘はほかの人と接する機会もなくなっていった」
その愛情からか、親子の間には“娘ファースト”の関係が築かれていたと、捜査関係者は話す。
「娘の言うことは『絶対』という感じだった」
「日々の食卓には娘の食べたいものが並び、欲しがるものは買い与えていた」
一方で、徐々に娘の言動に苦慮するようになっていったという。
捜査関係者によると、自宅の物の配置を変えたことで、激高されることもあったといい、父親も自宅を避けるようになっていたとみられている。
ある捜査員は「両親も瑠奈容疑者の意のままに動かざるを得なかったのではないか。娘を止めることができていれば」と話している。
道警は、これまでの捜査や逮捕された瑠奈容疑者の自宅から被害者の遺体がみつかっているという客観的な証拠などから、別の人物が事件に関与したことは考えにくいとしている。
犯罪心理学者で東京未来大学の出口保行教授は、親子の関係について「娘に過保護な家庭だったのではないか」と指摘した。
東京未来大学 出口保行教授
「仮に娘が罪を犯したならば、自首を勧める、罪を償わせようとするのが親としては当たり前の考え方です。ただ、今回の場合はそのような行動をとっていません。さらに、もし計画段階から親も知っていたのだとすれば、なぜ止めなかったのか。家族関係、家庭関係の問題がその背景にあるのではないかと思います。
娘が主犯で、親が従犯なのかもしれませんが、現時点では詳しいことは解明されていません。事件を起こしたとすれば殺人に家族みんなで関わる必要性がどこにあったのかが最大の疑問です」
両親が法廷で語ったのは
親子の逮捕からおよそ1か月。
札幌地方検察庁は、3人の当時の精神状態などを調べるため、鑑定留置を行うと発表した。
その期間は半年で、3か月程度のケースが多い中で異例の長さだ。
一方、両親の弁護士は、鑑定留置を不服として、札幌地方裁判所に準抗告を申し立てた。
2人は事件に関与しておらず、鑑定留置を行う必要がないと主張している。
しかし決定は覆らず、申し立ては即日棄却された。
その後、鑑定留置の理由を開示する手続きが札幌簡易裁判所で行われ、両親が出廷した。
2人はここで初めて事件について語った。
父親
「娘が起こした事件の犠牲となられて命を落とされた被害者の方、そしてご遺族の方々、関係者の方々に、取り返しのつかない苦しみ、悲しみ、ご迷惑をおかけしましたことを深く深くおわび申し上げます。
私ども夫婦は、親として、その道義的責任を強く痛感しております。本当に本当に申し訳ありませんでした」
母親
「言葉ではとても言い尽くせないんですけれども、このような重大なことになってしまい、本当に取り返しのつかないことになってしまって、心から申し訳ないと思っております。深くおわびを申し上げます」
被害者や遺族への謝罪の言葉を述べた一方、自分自身の容疑については否認した。
父親
「親としての道義的責任を強く痛感しておりますが、共謀の被疑事実を私どもはやっていませんと、一貫して否認しております」
母親
「私は疑われるようなことは何一つしていないと否認しております」
今回の事件は娘が起こしたことだとして、そのことを事件後に知ったと主張した。
そして弁護士は、準抗告が棄却されたことを不服として、最高裁判所に特別抗告を申し立てたが、これも棄却された。
瑠奈容疑者については申し立てはなかったものの、捜査関係者などによると、両親と同様に容疑を否認していたという。
東京未来大学の出口教授は、事件の動機や背景を知ることで、防犯にも役立てることができると指摘する。
東京未来大学 出口保行教授
「事件を起こしたとすれば、家族で一体何の目的があったのか、本当に不可解な事件です。何が目的で、どういう社会環境で過ごしていて事件につながってしまったのか。これらを明らかにすることは、『攻める防犯』と言って、今後、人が犯罪に関わらないためにどうすればよいかを考える上で非常に重要です。それは今回の事件関係者のためだけではなく、今後の社会の中でも非常に重要な示唆があると考えています。社会の中で同じような事件を繰り返してはいけません」
来年2月下旬まで、一家3人の鑑定留置が決まり、期間中は専門家による精神鑑定などが行われる。
※2024年3月8日追記
3月6日、札幌地方検察庁は、田村瑠奈被告を殺人と死体遺棄や損壊などの罪で起訴しました。
また、両親については殺人罪での起訴を見送り、父親の修被告を殺人や遺棄などを手助けしたほう助の罪で、母親の浩子被告を遺棄などのほう助の罪でそれぞれ起訴しました。
取材後記
捜査員すら「類を見ない」と話す、今回の事件。
首が持ち去られるという事件の猟奇性や、全国有数の歓楽街、ススキノが現場となったことから報道は過熱した。
その中で、有象無象の情報から真実を突き止め、この事件の背景に何があったのか、なんとか伝えようとしてきた。
2人の間に何があったのか、なぜ男性は殺されたのか、私たちはその大事な部分にまだたどり着けていない。